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- 2011年5月11日 水曜日 今日はバリ島へ出発の日。 昨夜3時ころまで荷造りで就寝。今朝は9時起き。雨の中の出発だ。 9時半出発、チャリで上井草まで。10時50分日暮里で同行者のWくんと合流。 スカイライナーで空港に向かう。雨の日本の風景を目に焼き付ける。今は陳腐な景色でも帰ってくる頃には違って見える筈。 成田で保険入り両替しマック食べつつ最後のtweetをして乗り込む。 機内食も食いまくり。 台北でもスペアリブ麺食いまくり。 時間が余って待つ。 そしてまた飛行機で食う。 その後、ずっと心理療法の本読書してた。 1時過ぎデンパサール到着。 おおー海外だ!しかも暑い東南アジアだわ。凄い蒸し暑い。 車ですぐにホテル着。インドを思い出す! バスタブなしでシャワーのみ!不便!すぐにでもウブドに移りたくなる。 なんだかんだでシャワー浴びて、Wと軽くベッドトーク。 で、4時5時あたりに沈没。寝る #
by chinaprove
| 2011-05-28 21:40
| 旅行記
謹賀新年。 滞在1日目の記事 <滞在2日目> 今日は朝9時半過ぎまで寝てたが、ふと朝食バイキングの時間が10時までだったと気付き、慌ててレストランに行った。あと五分だよと急かされつつ、よそいまくる。 中華系と洋風とちょっとだけ和風。相変わらず粥の味が薄い!笑。 フレンチトーストとかフルーツはまあまあ。汁そば的なのも美味かった。なるほど日本とは違う中国の麺という感じのあっさり味付け。 その後部屋で入念にプラン考え、回る所をがっちり決め、11時頃に出かける。 (ちなみに大連は遼東半島の先端に位置し、日清戦争や日露戦争の戦場であり、清朝からロシアの租借地、そして満州国という実質日本の統治の下にあった所である。個人的には両親とも小学生の頃、満州に滞在しており、母親は大連にも数年暮らしていた。) まず旧ロシア人街目指す。 最初はやはり緊張感ありながら初街歩き。お上りさん的な振る舞いを見せないよう、立ち止まって考えないように歩く。笑 ロシア人街はまあまあだが、さびれてる!笑。正面に旧満鉄の建物? (※帝政ロシアにより鉄道事務所として建築、後に市役所、満鉄初代本社、二台目ヤマトホテルに利用され、夏目漱石が滞在したことも。) かつて漱石も泊まった所があったが現在は放置されてる。。なんとまあ。。場末感一杯。 そして旧日本人街もさびれ感見つつ、中山広場(旧「大広場」)へ。 この周りは満鉄時代の建物が多い。旧大和ホテル、今はカフェになってる所とか。 (満鉄とは「南満州鉄道株式会社」の略称。日露戦争後、日本政府により設立され鉄道事業を中心にインフラ整備など多方面事業を展開した。) そして旧大連病院。母親も入ったことがある所。 中を歩き回る。トイレ汚い。。汗 その後旧満鉄本社建物を入念に見学。 日本語の上手いガイドが2人もいる。男性が凄く上手く。若い女性は上手いし、超可愛い。笑。 内部の資料館をずっと親切に解説してくれる。 ところが、資料館の反日運動の資料のコーナーでは全く解説しなかったので、逆にビックリ。 後で先生と言われてた男性の方に、日本人に対してはわざとあの辺の解説はしないのか?と聞いたら、いやそうではなく、満鉄の資料館だから、あくまでも満鉄の資料に関することしか解説しないようにしてるんだ、とのこと。まあ説得力ありかな。。本当はどうなんだろう。 結局土産物も色々買いたかったが、満鉄遺留品の満鉄マーク入りのショットグラスだけ買う。五千円相当。 他にも遺留品のアサヒグラフなどが売られてる!しかし一万円相当、高い。でもこんなもの手に入らないぞ!当時の大連在住者向けの内地のニュースとか。相撲とかの写真も。。 後でよく考えたけど、資料館の土産物屋って普通レプリカを売ってナンボっていうのが普通だけど、ここはホンマもんの遺留品をズラズラ売ってるって凄くない!?(笑)。しかも、最初売り過ぎて今もう僅からしい。(^◇^;) あと全然関係ない80年代に出された漱石の我輩猫の挿絵付き本が売られてるのが笑えた。 さて、ここまで色んなものを見て来た所で、 だんだん中国に来てまで、日本語で解説されてるのが、なんとなく不甲斐なく感じられてくる。やはり中国人のふところに入るには、中国語で話してみたい。彼らの話し方が、母国語と日本語とであまりに調子が違うからね。。 その後腹減ったので、李先生というファーストフードチェーン店的な牛肉ラーメン屋に入る。 14元!実に200円ほど!安い~。麺は伸び気味だが牛肉が美味い。 そして、大連港まで歩き、寒くて疲れたので一旦タクシーでホテルまで戻ってくる。ここで5時くらい。 大連を歩き回っていて思ったが、男はブラックマヨネーズか、金正男系がとても多い(笑)。 #
by chinaprove
| 2011-01-01 06:24
| 旅行記
2010年12月23日〜26日まで、3泊4日にて中国は大連を旅行しました。 駄文ですが、現地で毎日メモ代わりに残した記録をアップします。 -1日目- 2010年12月23日 木曜日 朝5:45に家を出て一生懸命、真っ暗な中を歩いて駅まで来て、日暮里でスカイライナー乗り、予定時刻に成田着いた。 しかし。。。成田に着いてみて呆然・・・。 すっかり旅慣れない人になってしまった!(笑) 手続きにどこに行けばいいのかパッとはわからず。。(苦笑) そして、自動搭乗手続きを初体験。変わったねぇ。。そして旅行保険加入、両替と諸々を済ませたらすっかり時間の余裕はなくなった。。ま、こんなものか。 飛行機では金正男そっくり?の方と隣同士(笑)。 でもiPhone持ってた! 私は機内番組でM1グランプリ三年間総集編をやってて、めちゃ破顔で鑑賞(笑)。 そんなこんなで大連に着陸! おお~やっぱり中国な雰囲気。。軍服の人が監視してる~。そして、気候はマイナス10℃とのことだったが、寒いというより気持ちいい!そして、バスでホテルまで送迎。超渋滞。 現地時間で午後2時頃到着。すでにだいぶ1日が長い印象。 眠いので昼寝する。 結局3時くらいから昼寝で5時半までガッツリ寝て、寝てる間に一度TELがかかってきたようで、5時半の大連スタッフAさんからのTELで目覚め、やっと連絡がとれました!ヤッタ! どうもiPhoneは電話はOKでも、ネットとメールは使えないらしい。ていうかデータローミングOFFにしてるからね。 しかし、メールは着信のお知らせだけは来るという、やきもき感一杯(笑)。初期の純粋な電話機能オンリーの携帯にiPodが付きました的な機械状態(笑)。 さてさて、大連スタッフとの合流の方法は、「ホテルに来てくれるのかな〜」なんて甘い期待を描いてたら・・・、 「あのー今から私が漢字を読み上げるので、書き留めてください。それでそれをタクシーの運転手に見せて目的地の店まで来てください、」 という、なんとハイスキルな指示!汗。(^◇^;) という訳で午後6時半頃、夜の大連の街にいきなり飛び出たが、もう車がビュンビュンで、どちらに歩いたらいいか全くわからない状態! そこへたまたま空車のタクシー出くわし、なんとか目的地指示成功。 だが、すぐに相乗りの客を乗せた!(笑)(中国のタクシーではよくあることらしい。) そして、お三方との出会い!ほー、やっぱり写真とは違うなぁ。そしてお皿に料理をとったりビールをついでくれたりなんとも気が利くこと!! やはり三人は中国語でのやりとりが多く、のちに同時通訳がつくみたいな感じ。 で、私は笑顔できょときょとしてる(笑)。 盛んに「どこが観たいですか?何を食べたいですか?」と希望を聞いてくれる。(^-^)/ 餃子の種類が多い~全体の量が多い~粥の味付け薄い~、飯が全くない~。笑 でも店内は清朝のイメージで非常にデコレーションが満載。ほぉーこれが中国のチェーン店ですか~王将みたいなもんだね?てちょっと違う。。笑。満州族のイメージらしい。 そういえば、日本のスタッフの写真を見せたら、「○○さんはドウゲンですねー」とか言ってたから、はて?道玄?修業僧? かと思ったら、「童顔」と言いたかったらしい。(笑) ひとしきり仕事が大変とかいろんな話をして、店が閉店くさくなったので、記念撮影をして引き上げ! いやぁ~なかなか素晴らしい出会いの夕べでしたわ☆ 大連のお三方、素晴らしいお気遣いとホスピタリティでした! 一応、明後日再会と約束して、またタクシー拾って帰る。 ちょっと余裕が出て、その辺をぐるっと回ってみるが、寒さが顔の露出部分を刺してくるよう!笑 明日の1人外出に備えて、風呂、就寝。 #
by chinaprove
| 2010-12-29 21:08
| 旅行記
(前回の記事)→志村會・フジ志村氏お別れ会 結局、1万5千人が献花に訪れたらしい。 今日になってWebで写真や記事が沢山UPされた。 そこでの新しい情報では、死因の解剖結果がまだ出てないとか。 7月の富士急でのライブではゲストボーカルを迎えるアイデアが出ているとか。 残されたメンバーは本当に有能な人たちだし、何より凄くイイ人たちだから。。 本当に本当になんとか頑張って、フジファブリックを続けてほしいと思う。 どんな形であれ。 あと、昨日書き忘れましたが、会場を出た所で、事務所の社長の原田公一さんに「ありがとうございます」と挨拶されました。。 私にとっては、ユニコーンのビデオの中からとても親しんでいた方だったので、結構感激でした。フジも同じ事務所所属だったので。 (1/23 0:30更新 原田さんがブログで会の報告とコメントをされてますが、ファンを「素晴らしかった」と褒めています。ますます感激。。涙) そして事務所の人からフォトカードを手渡されました。 この会のために、関係者はどのくらいの手間をかけたのだろう? そう思うと、頭の下がる思いでした。 また、会場で流れていた音楽で「茜色の夕日」を加えるのを忘れておりました。 もっとも感動的な曲を。 彼が東京に来てすぐ、18歳の頃に作った、初めて自分を表現することの出来た歌、とのことです。 これだけハマってしまった日本の歌もののロックは、とても数少ない。 元々邦楽よりもずっと洋楽が好きだし、歌ものよりも音響的に凝ったもの方が好みである。 傾向では正反対であったにも関わらず、掴んで離さない魅力があったバンド。 まだその魅力に触れていない人は、是非聴いていただければと思う。 そしてすぐには判断しないで、長い付き合いでいて欲しい。 #
by chinaprove
| 2010-01-22 23:59
| 社会・芸能
行ってきました。フジファブリック志村氏のお別れ会「志村會」 想像してたのと、行ったのとでは全然違いました。昼から沢山の人たちが集まって花を捧げていました。 会社に黒ネクタイをして行き、昼から早退。 「お先に失礼します。。」 すると、上司から 「忌引きですか?」 ん・・、気持ちはそうですが。。苦笑 著名人の追悼の会というものに出席したのは初めてですが、なかなか会場の空気は凄かったというか、当然リアルなものがひしひしと伝わってきました。 こちらに写真もありますが、 メンバー3人の献花の様子 メンバーには残念ながら会えませんでしたが、最前列には志村氏のご家族がいらっしゃいました。 ご両親、ご姉妹?(お2人)。いらっしゃることを予想していなかったので驚きました。そしてそこでやはり凄くリアルに「亡くなったんだ。」と感ぜずにはいられなかった。 ご家族の3人の女性の方々は、本人と大変似ていらして、目鼻立ちがはっきりしていらっしゃった。お父様はとてもとてもとても厳しそうな方と拝見しました。 単行本でも、「お父さんが厳しく、食事はお父さん以外みんな正座」と書かれていたのを思い出しました。 ご家族の前で深々とお辞儀しつつ、(失礼ながらも)じっくり眺めてしまいました。 中野サンプラザの中では人が列をなして順番を待っていましたが、バックにはフジの曲(陽炎、若者のすべて、赤黄色の金木犀、ストックホルム、ダンス2000、虹etc.)が流れ、半数以上の方が泣いていました。 しかし、女性率が高い。。95%は女性だったかと。 たまに男性を見かけると思わず違和感を感じずにはいられないほど。(自分もそうなのに。) と、中にトータルテンボスのような頭の男性!スカルプシャンプーを思い出してしまった。。(後で聞いたらスクービードゥーの方だったとか) 会場を出た通路には、ステージでの志村氏のセッティングが再現されていました。 ギター、アンプ、エフェクター、足下に曲順の紙。 アンプのとなりのボックスの上にはタバコとスタバのアイスコーヒー。 ちゃんといっぱいに入ってストロー付きでした。 また不思議なことに、予報では1日曇りだったはずなのに、 昼の部の献花の時間12〜15時の間、中野の空は晴れて光りがさしていました。 15時すぎ、小雨が降り出しました。 会場を後にし、 フジファブ・ファンの同志と共にその後の余韻をロイヤルホストで味わいましたが、 なんととなりには「マシンガンズ」(お笑い)の人が!! しかも相方を1時間半も待っていました。ヒマなのか?? そんな、なかなか味わえない1日を過ごしました。 #
by chinaprove
| 2010-01-21 22:32
| 社会・芸能
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